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「子育てなんて一瞬よ」と言われて、笑えなかった話

2026-06-13

火曜 19 時、スーパーのレジ前で「子育てなんて一瞬よ」と言われた話。優しさはわかる、でも、笑顔は固まる。「昔は良かった」と同じ構造の言葉だな、と帰り道で思って。それで、うちと一緒にいられる時間を年齢別に足してみたら、半分以上もう終わってた。LastDays は、その残りの数字を毎日ホーム画面に出すアプリです。

スーパーのレジ前で、後ろのおばあちゃんに声をかけられました。

子供が床に座り込んで「お菓子買ってー」をやってた、火曜の 19 時すぎ。泣いても餅はあげません。

「あらー、可愛いわねぇ。子育てなんて一瞬よ。今だけよ、今だけ」

優しい笑顔で、そう言われました。たぶん悪気はない。私も笑顔を返した、と思います。

でも、帰り道、その言葉だけずっと引きずってました。

あの「イラっ」、わかる人いると思う

同じ親なら、わかると思います。「子育てなんて一瞬だよ」と言われた瞬間、ありがとうございますって思う前に、何かが一瞬イラっとする、あの感じ。

なんでイラっとするんやろう、と帰り道に考えてました。

オーウェルの『1984』に「ダブルシンク」という概念が出てきます。難しい話は抜きにして、概念だけ言うと、こう。

矛盾する 2 つの認識を、本人は両方とも本気で正しいと思って同居させる思考。

これ、世間が育児について言う言葉に、けっこう混ざってるんちゃうかな、と思ったんです。

「昔は良かった」っていう、よくある嘘

「昔は良かった」って言う人、よくいます。

でも、本当でしょうか。スマホもない、AI もない、ネトフリもない。調べ物は図書館で本を片っ端から開くか、気難しい知り合いに頭を下げて聞くしかなかった時代。聞いたら、しっかり小言までついてくる。

戻りたいですか? 戻りたいなら、技術を捨てて山で暮らせばいい。…ちょっと言い過ぎですね。

「昔は良かった」は、たぶん 記憶の編集ミスを、本人が信じ込んでる状態。不便だったことは全部忘れて、楽しかった断片だけが残ってる。ノスタルジーって、結局そういうもんです。

「昔は良かった」と「昔は不便だった」を、両方本気で言える。ダブルシンクの痕跡やな、と思います。

「子育てなんて一瞬」も、たぶん同じ構造

「子育てなんて一瞬」も、これと同じだと思うんです。

終わった人が、終わった側から見て言ってる。圧縮された記憶の中では、確かに 1 秒に見えるかもしれない。

でも、今、毎日育児してる側からは、どうか。

朝 7 時 30 分、「もう 7 時半やで、早く!」を 3 回繰り返す。同じ漢字を、同じ場所で間違える。宿題、始めるまでに 30 分。お風呂、入るまでに 30 分。寝るまでに、また 30 分。

それが、毎日。一昨日と同じ。先週と同じ。先月とも、たぶん同じ。

一瞬じゃない。長い。終わらない。永遠の監獄か、ここは。

「一瞬よ」と言われたら、「さぞ、お子さんはいい子だったんでしょうね」と皮肉が頭をよぎる。言いませんけど。

でも、本当に一瞬なのか? 数字で考える

ここまでがダブルシンクの話。ここから、エンジニアとしての話。

「子育てが一瞬かどうか」は、感覚で言い合っても決着がつかない。だから一度、数字にしてみることにしました。

そもそも人が我慢できる条件は、たぶん 2 つしかない。

  1. 終わり (期限) があること
  2. 達成のあとに報酬があること

ダイエットがしんどいのは、停滞期に「終わり」が見えなくなるから。受験勉強が続くのは、試験日という期限と合格という報酬がセットでぶら下がってるから。「そのうち資格取ろう」の「そのうち」は、永遠に来ない。

育児を「終わり」と「報酬」で考えるのは、ちょっと冷たいかもしれない。でも、毎日の同じ繰り返しに飲み込まれてる側からすると、終わりの目安が見えるだけで、たぶん少し楽になる。少なくとも、私はそうでした。

それで、終わりを数えるアプリを作った

うちで作ったのが、LastDays です。子供の生年月日を入れると、「あと一緒にいられる時間」を年齢別に積み上げて、合計してくれる。

計算は雑です。完璧な数字じゃない。共働きか、保育園か、小学校に上がったらどれくらい家にいるか、長期休暇は何日か。そういう「うちの平均」を、ワンタップで入れていく。あとは勝手に足し算してくれます。

0 歳のときは、24 時間ぜんぶ一緒にいる。小学校に行ったら、6 時間は学校で見てない。中学・高校になると、ほぼ家にいない。

子供が成長すればするほど、一緒に過ごせる時間は、急速に短くなっていく。これ、ふだん意識してないんですけど、グラフにすると残酷なくらい右肩下がりなんです。

うちの場合、もう 子育て全体の 50% を越えてました。表示を見て、「あ、もう半分か」と一瞬手が止まりました。

もうちょっとの辛抱、と思える

「あと半分」が見えてから、不思議と、朝の「もう 7 時半やで」が前より少しマシになりました。なんでですかね。終わりが見えると、人ってちょっと持ち直すんだと思います。受験生と同じで。

あと、「抱っこ」「絵本読んで」「一緒に寝よう」みたいな、毎日言われて「またか…」と思ってたやつ。これも、あと何回ぐらいかが、画面に数字で出ます。

抱っこ、重いから正直キツいんですけど、「あと 300 回くらい」って書いてあると、まあ、今日 1 回くらいいいか、となる。なる日もある。ならない日もある。

絵本も、寝る前の絵本ねだりがあと何年で終わるか、地味に出ます。…うちはもう、そろそろ終わるみたいです。寂しいですね。

SNS シェア機能、付けてみました

「あと何回」の数字は、タップするとそのままシェア画像になります。SNS に貼れる。Instagram でも、X でも。

子の名前も誕生日も、画像には載りません。「あと何回、絵本を読めるか」とか、「あと何回、一緒にお風呂に入れるか」みたいな数字だけが、水彩のかわいい画像にのって出てきます。個人情報を出さずに、感情だけ共有できる。

私はこれを、「同じ気持ちの親に届けばいいな」と思って付けました。子の成長を惜しめるのは、たぶんごく短いあいだだけ。終わってから「一瞬だったね」と言うより、今のうちにシェアしときたい。

あと、シェアしてもらえると、見た人が lycoapp.com/lastdays から DL してくれて、私の作ってる他のアプリも見てもらえる、というオマケがあります。ここはエンジニアとしての本音。

笑えなかった話の、続き

スーパーのおばあちゃんは、たぶん優しさで言ってくれた。それはわかる。受け取ります。

でも「一瞬よ」と言われてイラっとする側にも、たぶん理由があって。それは「終わりが見えない長さ」を毎日生きてる側の、正当な感情だと思います。圧縮された側から見たら 1 秒でも、こっちは秒で生きてる。

その「秒で生きてる感じ」と、「あと半分」っていう数字を、両方持って歩く。両方持って歩くのは、ダブルシンクっぽいですけど、わりと楽です。なんでやろ。長さと有限さが、同時に見えるからかな。

いつか私もそっち側に行って、「子育てなんて一瞬よ」って思える日まで、あともう少し。それまでは今日も「もう 7 時半やで」を 3 回言って、抱っこをして、絵本を読みます。回数、ちゃんと数えながら。

LastDays を見る →

  1. George Orwell, Nineteen Eighty-Four, Secker & Warburg, 1949. (「ダブルシンク」概念の出典)
  2. Tim Urban, "The Tail End", Wait But Why, 2015. (18 歳までに親子が一緒に過ごす時間の約 93% が終わる、という観察。LastDays の計算の動機の一つ)