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「なんでも好きなの選んでいいよ」が、いちばん酷だった

2026-06-22

朝、クローゼットの前で 3 分固まる子。「自分で選びなさい」と言うほど動かない。Iyengar & Lepper のジャム実験 (24 種より 6 種のほうが 10 倍売れた) を朝の服選びに当てはめてみた話。うちの Todo 系アプリも、仕事の要件定義も、同じ「選択肢の絞り方」が効く。

朝。子に「今日は何着る?」と聞く。

クローゼットの前で固まる。3 分。5 分。「分からない」と言う。

「じゃあ自分で選びなさい」「だから分からない」「自分で考えなさい」「だからわかんないんだって!」

最後はたいてい泣く。あるいはこっちが切れる。

「自分で選ばせるのが大事」って育児書で読んだのに、選択肢を与えれば与えるほど、子は動かなくなる。なんだろう、これは。

24 種類のジャムが売れなかった話

これ、心理学で有名な実験で説明できる現象だった。

シーナ・アイエンガーとマーク・レッパーの 2000 年の研究1。スーパーの試食コーナーでジャムを並べる実験。

選択肢が多いほうが「興味を引く」のは正しい。でも 実際に行動に移る確率は、10 倍違う

選択肢が増えると、人は選べなくなって、買わずに帰る。

これがいわゆる 選択のパラドックス (Paradox of Choice)。

子も、同じことが起きていた

「今日は何着る?」とクローゼット全開で聞かれた子は、ジャム 24 種類の前で固まった大人と同じ状態にいる。

選択肢が多すぎて、評価軸も多すぎて、決められない。「分からない」は嘘ではない。うちの子の場合、本当に処理しきれてない ように見える。

「自分で選びなさい」と何度言っても、システムが追いつかない。

6 種類より、2 種類のほうが楽

試しに変えてみた。

2 択にしたら、別人みたいに動く。

夕飯の「何食べたい?」も同じ。

3 秒。

子が「優柔不断」なのではなく、選択肢の出し方をこっちが間違えていた だけだった。

アプリの中でも、自然とこれをやってる

うちで作ってる Todo 系のアプリは、実は同じ「選択肢を絞る」設計でできている。

Todoガチャは、子に「次なに?」とは聞かない。ガチャから ランダムに出す。決定権を放棄させている、とも言える。でも、それで動く。

Todoビンゴは、3×3 のマスにやることを書く。マスの数は固定。選択肢のサイズが目に見えている

「子に自由を」という気持ちは分かる。自分もそう育てたい。でも、自由と選択は、別の話。選択は重い作業で、うちの子を見ている限り、まだ処理が追いつかない場面が多い。

Iyengar の研究と、うちの朝のシーンを並べてみて、こうした「選択肢の絞り方」を、Lyco App の Todo 系 (Todoガチャ / Todoビンゴ) を作るときの設計判断の参考にしている。

仕事で要件定義するときも、意識していて。私は「選択できる不自由」と呼んでいる。色々な事が選択できると、逆に人は困るもので、システムもカバレッジを取りに行かないと行けないから大変で。誰も幸せにならない。何でも出来るは、何も作らないのと一緒。作ると言うことは出来る事を決めていると同時に、出来ない事を決めている事なのだと思っている。

実際にやってること

家でやっているのは、おおむねこの 3 つ:

ポイントは、選択肢を絞ったあと、選んだ結果に介入しない こと。「いや、こっちのほうがいいんじゃない?」と後出しすると、選択そのものが無効化されて意味がなくなる。

「自由」は、選ばせないときに生まれる

子が「自分で選んだ」という感覚を持つには、選ぶ前にこっちが選択肢を 2-3 個に絞っておく ほうが、結果的に上手くいく。

選択肢が 2 個なら選べる。選んだら「自分で決めた」感が残る。

選択肢が 24 個だと、選んだ後も「他のほうが良かったかも」が残る。あるいは選べずに固まる。

「自由に選んでいい」は、優しい言葉に見えて、子には重すぎる時がある。

ちなみに

「今日のご飯は何が良い?」

「何でも良いよ。」

これが、一番困りますよね。

参考文献

  1. Iyengar, S. S., & Lepper, M. R. (2000). When choice is demotivating: Can one desire too much of a good thing? Journal of Personality and Social Psychology, 79(6), 995-1006.